母も保育士も向いていないと悩んだ日々
やんちゃな長男の子育て 愛情不足なのですか?
あの頃、すぐに走り出し、私の言うことを聞かない長男に、
わかりやすく 短く やるべきことを伝える事が大事だと学び、
やってほしいことだけをストレートに、できるだけ事前に伝えました。
そのような対応に、一定の効果はありましたが
次々とやってほしくないことを やらかしてくれるスピードのほうが早くて
自分が幼い頃とは全く違うその姿に戸惑うばかりでした。
それでも、なぜか上手に扱えるアパートの大家さんや義理の母。
上手に扱えずに苦労していた園の先生や周りの人達からは、
お母さんの愛情不足とばかり、
「もっと抱きしめてあげて」
「もっと向かい合って子育てをして」と言われ、
自分の育て方が悪いと責められているようで 自信をなくしました。
方法論に走り、忘れていた大事なことって?
保育園から療育の現場に異動し、そこでも悩むことが多く、
私は保育士に向いていない、やめたほうがいいのかと
悩み落ち込み続ける日々でした。
のちに、この異動は私にもっと学ぶように そうすれば光が見えると
指し示してくれたチャンスをくれた出来事だと とらえられるようになりました。
それまで保育士として、若い先生として、
子どもたちには何もしなくても囲まれて、
「先生大好き」と言われてきたのに、
療育の現場では、こどもたちは
自分のことをわかってくれる人、
気持ちを汲んでくれる人、
大好きなことを一緒にしてくれる人、
楽しい人、優しい人、面白い人、
わかりやすく伝えてくれる人、
そんな大人が求められます。
スキル面だけでは補えない、
保育士としての資質のなさを、
子どもたちに試されているような気持ちになりました。
出会ってすぐに、私のそばに来てくれる子どももいましたが、
「それはあなたのことが好きなわけではない」し、
「信頼関係ができているから側に行くわけではない。」と、
先輩にはっきり言われました。
「信頼関係ができてもいないのに、あなたのところにくるような、
人との距離感がわからない、近すぎる子どもには、淡々と接して」
と指導されました。
療育現場で毎日、子どもたちと保護者と先輩職員から学ばせていただき、
研修に行って勉強することで、だんだんと発達障害のことが理解できるようになりました。
そして、短く はっきり 見える化して伝えることの他に、
『子ども理解』をすることで かける声掛けが変わること
つまり、『気持ちを汲むことが大事だ』 ということがわかってきました。
当たり前のことであり、子育てや保育の基本的なことなのですが
こんな初歩的な事も忘れてしまい、行動にばかり目を向け
子どもの気持ちに目を向けられずに
方法論にばかり走り、大事なことをわかっていませんでした。
「行動否定はしても人格否定はしない」
そんな大事なことを忘れてしまっていました。
大事な息子の自己肯定感を下げていたのは 他でもない 忘れんぼ母ちゃんでした。
そしてこのころはまだ、本人へのアプローチよりも、
支援者の対応方法だけを学ぶほうが多かったです。
育てにくい子どもの子育ての大変さは、育てにくい子を育てた人にしかわからない。
正確には、上手に育てられない人にしかわからない苦しみがあると思います。
そもそも大変なタイプのお子さんを育てたことがない人は、実際はさておき
「私ならもっと上手に育てられるのに」という人もいるでしょうし、
育てにくいタイプの子育てをしているにも関わらず、本当に楽しんで、
「そんなに大変じゃなかったよ〜」という人もいます。
確かに同じような大変さのある子どもでも、
あまり困らずに育てることができる人もいるのは事実だけど、
不器用な私にとって、
そこは、なんの学びがなくても上手に対応できる人とは違って、
圧倒的に知識量を増やし、様々なパターンのノウハウを知ることと、
臨床的な学びが必要でした。
次回は、なぜブログを立ち上げようと思ったのか パート1その④「母として保育士として自信を失い そして・・・」に続きます。