じゃあ何ができるのかを考えよう
この子のためにできること
本人の生き辛さ(育てにくさ)となっている衝動性や多動性、忘れんぼさん、こだわりなどの特性は、
脳の機能の問題だ、ということはわかりました。
もともと持っている個性みたいなものだ、という人もいます。
自分らしく生きていくことを、
「みんなちがって みんないい」と認めあって
「あたたかい社会で支え合って生きていけたら 良い世の中だよね」
本当にそう思います。でも
現実はそう思う人ばかりではないし、
毎日の生活は変わらずに続いているし
集団生活で その集団ごとに多少の違いはありますが、適応しながら
お互いに気持ちよく生活していくことは求められます。
脳の機能の問題だから 仕方がないから
だからなにもしなくていい、ということではありません。
もちろん特性=短所ではなく、長所ともなり得ます。
では次に、どうしたら、
この子にとって、自分自身も、
過ごしやすくなるのか、
特性を短所としてではなく、能力としての長所として伸ばしていくにはどうしたら良いのか。
長所として伸ばすのはもちろんのこと、
短所の部分をどうにかして改善していくには今すぐの効果はないにしても、なにか働きかけられることはないだろうか、
「治せない、だから諦めろ」ではなく、「様子を見ましょう」でもなく、
なにかできることはあるでしょう。
そう思い
更に勉強していくことになります。
いろいろな研修に参加し、
同じような思いを持っている先生や保護者の方々と出会い、
療育の現場での毎日の実践から経験値も上がり、
母として、保育士として、成長し、
長男も成長し、
少しずつ過ごしやすくなっていきました。
私はすぐにひとつの答えを求めがちの衝動性の高さがありましたが、
やはり、一人ひとりにあった支援は必要である、ということ
姿をきちんと捉えて子ども理解を深めて、
その子にあったオーダーメイドの支援を考えること
アプローチして実践して更にどう働きかけていくとよいかを考えていくことが大事だということも、学んでいきました。
そして、答えは一つではなく、多面的にみていくことが大事だということも学びました。
子育て 発達支援 いまだ学び実践中
今、発達支援の仕事をする中で、苦労してきた自分の経験が
少なからず悩める子育て中の方のお力になっていると思うと、
あの大変だった、悩み泣いた時間は、無駄ではなかったと思えます。
子ども理解だけでなく、人理解という広い枠に繋がりました。
子ども理解、保護者理解、支援者理解、家族理解、職場の職員理解、友人知人理解、当事者以外の人達への理解、などなど。
そして、あの頃大変だと思っていた出来事はみな
今は武勇伝、笑い話、として話せるようになりつつあります。
しかし、子育てはまだ終わっていません。
兄弟でも違うタイプ
長男とはまた違ったタイプの次男(第3子)は、感覚過敏です。
人に迷惑をかけることは少なく、
その分育てやすさはあったけれど、
本人は困り感が多く、生きづらさがありました。
まだ勉強不足で、感覚が過敏だということに気がついていない頃は、
こんなふうに気の毒に思っていました。
・偏食多いなあ。
・お兄ちゃんは10ヶ月で歩くの早すぎって思ったから、ゆっくりでいいよと思ったけど、1歳半になってやっと歩き始めって遅くない?ちょっと心配。
・着るものの好みこだわり多すぎ。
・せっかく可愛い洋服買ったのに、なんで来てくれないの?
・チック症状、また始まった。なんで?
・夜はもっと早く寝ようよ。
・行事に対する不安大きすぎ、もっと楽しもうよ!
・何を聞いても「わかんない」しか言わないじゃん!
・優しく言っているのに、すぐ泣くんだから〜。
・お兄ちゃんは滑り台何回も滑っていたのに、怖いから滑らないってどういうこと?!
・注射する前からもう泣いてるよ〜。
*書き出したら止まらず、ほかにもいくらでも例を挙げられます(*_*;
「兄弟なのに、違うものだね。」「弟は甘えんぼさんだからね。」
「年が離れた兄弟だからなんでもやってもらっていたんだね」
などと言わることもありました。
もう育て方のせいや、本人のワガママではないことはわかっていたので、
外野の声は大して気になりませんでした。
確かに、なんでもやってあげちゃうから、経験不足はあったと思います。
ただ、すぐ泣くのはどうしてなの?何をすればいいの?
と思い、具体的に何をすればよいのかはわからず、
やはり勉強は必要でした。
そして、これらは感覚の過敏さからきていることがわかりました。
タグのチクチクが気になる敏感さ というのはなんとなく理解できても、
滑り台がこわい というのはなかなかわかってあげられませんでした。
例えて言うならば、兄が40キロで走っている車に乗っていても、10キロで走っているようにしか感じていない鈍麻さがあるのに対して、
弟は同じ40キロで走っている車に乗っていても、100キロで走っているように感じている、というイメージを持つといいと教えてくれたのは、また別の研修でした。
前庭感覚が関わっているのですが、詳しくはまたおいおいお伝えしていきます。
さらに、発達障害の本人の理解と 配慮について、だいぶわかってきた頃、
もう理解と配慮の話にはお腹いっぱいになっていた頃、
花風社の本にはまりました。
「治す」という言葉を使っているために
職場には「そんな怪しいもの読んだらだめ」と言われるのでとても話せなかった。
今でも内緒です(笑)
でも、子どものために、少しでもいい、効果があると思えることなら
何でも試してみたかった。
それが親心というものです。
発達障害関係に携わっている著者の研修を受けたり、講演会を聴きに行ったり
実践するための教室に行ったり、そこで出会った生徒さんたちからさらに情報を聞いて
いいと思える情報はとりあえず取り入れて、でかけていき、
参考にして、吸収して、実際に子どもに働きかけていました。
感覚過敏だから経験不足になる。経験不足だから、感覚過敏が改善していかない。
という悪循環に陥っていることもわかってきました。
これらも学びによって、基礎感覚を培う運動あそびやタッチング、
神経を緩めるリラックス運動などの実践を通して、少しずつ改善に向かっています。
そんなエピソードも今後具体的に伝えていきたいと思っています。
次回は、なぜブログを立ち上げようと思ったのか パート1その⑥「研修で学び気づいたこと」に続きます。