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母の日 お母さんに手紙を書こう 感謝の気持を伝えよう

感動して泣ける話

「僕を支えた 母の言葉」 野口嘉則さんの知人の話をビデオにしたもの みたことありますか?

文字に起こしました。まずは読んでみてください。

「僕を支えた 母の言葉」

 

僕が3歳のとき 父が亡くなり

その後は母が 女手ひとつで 僕を育ててくれた

 

仕事から帰ってきた母は 疲れた顔も見せずに 晩ごはんをつくり

晩ごはんを食べた後は 内職をした

毎晩 遅くまでやっていた

母が頑張ってくれていることは よくわかっていた

だけど僕には 不満もいっぱいあった

僕が学校から帰ってきても 家には誰もいない

夜は夜で 母は遅くまで内職

そんなに働いているのに 我が家は裕福じゃなかった

遊園地にも 連れて行ってもらえない

ゲームセンターで遊ぶだけの 小遣いももらえない

テレビが壊れたときも 半年間 買ってもらえなかった

僕はいつしか 母にきつく当たるようになった

「おい」とか 「うるせー」とか なまいきな言葉を吐いた

「ばばあ」と 呼んだこともあった

それでも母は こんな僕のために 頑張って働いてくれた

そして 僕にはいつもやさしかった

 

小学校6年のとき はじめて運動会に来てくれた

運動神経が鈍い僕は かけっこでビリだった

悔しかった

家に帰って母はこう言った

「かけっこの順番なんて 気にしなくていい

おまえは素晴らしいんだから」

だけど僕の悔しさは ちっともおさまらなかった

 

僕は学校の勉強も苦手だった 成績も最悪

自分でも劣等感を感じていた

だけど母は テストの点や通知表を見るたびに やっぱりこう言った

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

僕には なんの説得力も 感じられなかった

母に食ってかかったこともあった

「何が素晴らしいんだよ!? どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は 自信満々の笑顔で言った

「いつかわかる時が来るよ

おまえは素晴らしいんだから」

 

僕は中学2年生になったころから

仲間たちとタバコを吸うようになった

万引もした 他の学校の生徒とケンカもした

母は何度も学校や警察に 呼び出された

いつも頭を下げて

「ご迷惑をかけて申し訳ありません」

と あやまっていた

 

ある日のこと 僕は校内で ちょっとした事件を起こした

母は仕事を抜けて 学校にやって来て いつものようにあやまった

教頭先生が言った

「お子さんがこんなに”悪い子”になったのは 家庭にも原因があるのではないでしょうか」

その瞬間 母の表情が変わった

母は 明らかに怒った眼で 教頭先生をにらみつけ きっぱりと言った

「この子は悪い子ではありません」

その迫力に驚いた教頭先生は 言葉を失った

母は続けた

「この子のやったことは間違っています 親の私にも責任があります

ですがこの子は 悪い子ではありません」

僕は 思いきりビンタをくらったような そんな衝撃を受けた

僕は わいてくる涙を抑えるのに 必死だった

母は こんな僕のことを

本当に素晴らしい人間だと 思ってくれていたんだ・・・

あとで隠れて 一人で泣いた

 

翌日から僕は タバコをやめた

万引きもやめた

仲間たちからも抜けた

 

その後 中学校を卒業した僕は高校に入ったが 肌が合わなくて中退した

そして仕事に就いた

そのときも母はこう言ってくれた

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

 

僕は心に誓った

「これから僕が頑張って お母さんに楽をしてもらうぞ」

 

だけどなかなか仕事を 覚えられなくて よく怒鳴られた

「何度おなじことを言わせるんだ!」「すこしは頭を働かせろ!」「おまえはほんとにダメなやつだな!」

怒鳴られるたびに 落ち込んだけど

そんなとき 僕の心には 母の声が聞こえてきた

 

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

 

この言葉を何度もかみしめた

そうすると 元気がわいてきた

勇気もわいてきた

「いつかきっと 僕自身の素晴らしさを証明して お母さんに見せたい」

そう考えると 僕はどこまでも頑張れた

 

仕事を始めて 半年くらい経ったときのことだ

仕事を終えて帰ろうとしていたら 社長がとんできて言った

「お母さんが事故にあわれたそうだ すぐに病院に行きなさい」

 

病院についた時

母の顔には白い布がかかっていた

僕はわけがわからなくて

何度も「おかあさん!」と叫びながら

ただただ泣き続けた

僕のために 身を粉にして働いてくれた母

縫いものの内職をしているときの 母の丸くなった背中を思い出した

母は何を楽しみにして 頑張ってくれてたんだろう?

これから親孝行できると 思っていたのに

これから楽させてあげられると 思っていたのに

 

葬式のあとで 親戚から聞いた

母が 実の母でなかったことを

実母は 僕を産んだときに 亡くなったらしい

母はそのことをいつか僕に 言うつもりだったんだろう

もしそうなったら 僕はこう伝えたかった

「血はつながっていなくても お母さんは僕のお母さんだよ」

 

あれから月日が流れ 僕は35歳になった

今あらためて 母にメッセージを送りたい

お母さん 僕とは 血がつながっていなかったんだね

そんな僕のために お母さんは 昼も夜も働いてくれたね

そして お母さんはいつも 言ってくれた

「おまえは素晴らしいんだから」って

その言葉が どんなに僕を救ってくれたか

どんなに僕を支えてくれたか

あれから僕なりに成長し 今は結婚して子どももいるよ

規模は小さいけど 会社の社長になって 社員たちと楽しくやっているよ

まだまだ未熟な僕だけど 僕なりに成長してきたと思う

その成長した姿を お母さんに見せたかったよ

「おまえは素晴らしい」

て言ってくれたお母さん

その言葉は間違っていなかった っていう証拠を見せたかった

そして それを見せられないことが 残念でならなかった

だけど最近気づいたんだ

お母さんは最初から

僕の素晴らしさを

見てくれていたんだよね

証拠なんてなくても

心の目でちゃんと

見てくれてたんだよね

だってお母さんが

「おまえは素晴らしいんだから」

って言うときは

全く迷いがなかったら

お母さんの顔は確信に満ちていたから

僕も今 社員たちと接していて

ついつい その社員の悪いところばかりに 目が行ってしまうことがある

ついつい怒鳴ってしまうこともある

だけどお母さんの言葉を思い出して 心の目でその社員の素晴らしさを 見直すようにしているんだ

そして心を込めて言うようにしている

「きみは素晴らしい」って

おかげで 社員たちともいい関係を築け 楽しく仕事をしているよ

これもお母さんのおかげです

お母さん

血はつながっていなくても

僕の本当のお母さん

ありがとう

いかがでしたでしょうか。

ムービーで見た時には、BGMも流れているので、

相乗効果で、涙なしには見ることができませんでした。

読まれた方が 何かを感じ取って、

大事な方への感謝の思いを伝えるきっかけになってくれたらと思い

載せさせていただきました。

感謝してるし 手紙なんて照れるし・・・でも

母の日なのにカーネションも何も買ってない

お母さんのこと大好きで感謝しているのに

思っていれば伝わるなんて そんなのは言いわけ

昨年慌ててお花をネット注文しようとしたら

どこも売り切れだった。

だからことしもきっとそうなんだろうな

と また言い訳して 買わなかったんだ。

でも、私にできることがある。

それは、感謝の気持をことばで伝えること。

 

そう思ったきっかけは、

私の息子が私にかけてくれたことばがあったからでした。

「お母さんありがとう」 の気持ちを伝えようと思ったきっかけ

4月に社会人となり、一人暮らしを始めた長男。

先日、「料理作るのはいいんだけどさ〜 皿洗いが面倒で

ママのありがたみがわかったよ」と

照れくさいのを隠して普通な感じを装って 言ってくれました。

とても嬉しかった。

皿洗い、我が家は食洗機が洗ってくれているんですけどね。

長男が、私への感謝の思いを そんなふうにことばにして伝えてくれたことが嬉しかった。

成長したなあ〜と 感じました。

思わず「ありがとう」と言いました。

私も照れくさくて なにかうまいこと言おうと思ったけど言えなくて

「いい体験しているね」 と言いました。

そして、また、

「ありがとう」と言いました。

そのあと、私は自分の母に、そんな思いを素直に伝えていないな、

これまでチャンスは何回もあったはずなのに、

何年ぼーっと生きてきているんだ? と 思いました。

ただ、いざ感謝の思いを書こうとすると、

照れくささからの言い訳がたくさん浮かんでくるのです。

たとえば、この前母に 肺がんが見つかって手術のために入院して

退院はしていますが、

『死ぬかもしれないと思って、急にあわててこんな手紙書いたんだな』

とか思われるの嫌だなあ とか。

でも、本当に死んじゃったら、

『やっぱり伝えておけばよかった』って

本当に後悔するかもしれない とも思うし。

お母さんに「手紙を書こう!」

そんなときに、大嶋啓介さんの朝活部で、母の日に本気の感謝を手紙で伝えよう

という企画があり、 背中を押されました。

その中のひとつが、冒頭にのせたムービーの内容を書き起こしたものです。

私がシェアしたグループメンバーの方たちの手紙も素晴らしかったので、

参考にさせてもらおうと思います。

いいアイディアはメモメモ、パクってOK

とどこかで聞いたことがあるので、そうさせてもらいます。

おかあさん ありがとう うんでくれてありがとう 育ててくれてありがとう

働きながら、ご飯を毎日作ってくれてありがとう お弁当作ってくれてありがとう

たくさん歌を歌ってくれてありがとう

字を教えてくれてありがとう

自分の得意を教えてくれてありがとう 今の自分があるのはお母さんのおかげです

お母さんはもう亡くなっているけれど、いつも見守ってくれているから伝えます

尊敬しています

いつもしてもらっていることを当たり前だと思っていてごめんね ありがとう 感謝しています

などなど

私もお母さんとのエピソードをだんだん思い出してきたので、

手紙の内容に付け足して、もう少し自分の気持ちをピッタリと出し切った!と

感じられる内容に書き直して渡したいと思っています。

そういえば、結婚式以来かも。

こうしてお母さんに手紙を書くって。

感謝を手紙で伝えることをシェアしよう ハグもしよう^ ^

そして、せっかくの母の日という

普段照れくさくて言えない思いを伝えるチャンスデーです。

なので、もしこれを読んだ方で、まだお母さんへのお手紙を書いていない方がいたら、

ぜひ 後々後悔をしないためにも、お母さんへの気持ちを綴ったお手紙を贈り

できれば、ハグをしてみてください。という話に最後はなりました。

男性が体験談として語ってくれました。

お母さんが退院してきた後の話です。

「会いたかった〜」と両手を広げて言われたので、迷いつつも久々に母親とハグしてみたら

懐かしいような思いに包まれた

ハグしてよかった

という男性のお話がありました。

自分の母親とハグなんてもう何年も何十年もしていません。

恥ずかしくてできるかはわからないけれど、

後何年生きられるか本当にわからない年齢になっているので、

年齢に関わらず、いつ死ぬかなんて誰にもわからないので、

後悔がないいように、お母さんの日だからこそ、

お母さんにフォーカスを当てて、感謝の気持をしっかりと伝えていきたいと思います。

心が動かされるのは、感動した時なんだ

今日の朝活部は、甲子園を目指す高校生たちが、

惜しくも決勝戦等で負けてしまい

それまで支えてくれた監督や仲間たちだけではなく、

お父さんやお母さん

とくに、お母さんへ

ご飯を作ってくれたこと、陰ながら支えてくれたこと

当たり前だと思っていたけれど、そこに感謝をしている姿

ことばにして伝えている姿

そんな映像を見て、本当に感動しました。

今日は朝からたくさん泣いてしまいました。

もうひとつ

野口嘉則さんの「僕を支えた 母のことば」のビデオを久しぶりに見ました

もう何年も前に見て、その時感動して泣いて

他の人にも伝えたいと思ったまま

忘却の彼方へ。

最初は忘れていたけれど、

あのときの内容だ!

と思い出しました

そしてまた改めて感動して泣きました。

甲子園の高校生たちの姿にもたくさん泣かされて、

今日は涙で心が洗われる そんな一日のスタートになりました。

 

ただ、母に感謝の手紙を書くから、他の人もやってみたらいいよね、

という内容のブログなわけですがw

私自身母への感謝の思いを手紙に書くまでの葛藤があり、その動機づけは

感動するムービーや他の方のお手紙や、そうするといいよねという企画をしてくれた人だったり、身近な大切な人に気づかせてもらったり、したわけです。

なにかのやる気スイッチって、実はそんなもんはないんだよという人もいますが、

こういったちょっとしたところから押されるものなんだなということが

今回実感と言うか、分析できました。(なんの報告?)

 

みなさんも どうか 素敵な母の日を お過ごしください。