「皆と同じことができていればとりあえず安心」な日本の教育
皆と同じようにできていれば、変に目立つこともなく、可もなく不可もなく、
過ごしやすい毎日は送れることでしょう。
今の日本の現状においてはクラスごとに一斉に同じ活動をすることが、
日常的な当然の風景です。
それが当たり前にできない子にとっては、怒られることが多くなりがちで
そうすると、日常が苦痛だったり、
当たり前にできる子たちが羨ましかったりします。
でも、同じことができない子の中に、実はものすごい才能が隠されていて、
ある時、例えば社会人になってから、その才能が発揮されて、
大活躍、大成功を収める人もいます。
反対に、小さい頃から叱られたり からかわれたりすることが多くて、
自己肯定感が低く、自分はどうせだめなやつだと自分を傷つけるような生き方をして、
自分の強みに気が付かないまま 良さを発揮できないで終わってしまう人もいます。
へたをすると他人をも傷つけることになる場合もあるのです。
そう考えると、「皆と同じようにできる」というところを目指すのではなく、
様々なことを学ぶチャンスは逃さないような配慮をしをしてもらいつつ
自分らしく強みを活かしながら認めあって支え合って
生きていける世の中を作っていくことが、
これからの時代には求められているのではないかと思うのです。
この記事は、保育士や学校の先生向けに主に書いています。
保護者の方に参考になることもあると思いますので、ぜひ読んでください。
極端な考えにとどまらず、柔軟で思いやりのある考え方と対応をしていき、
大人も子どもも
人々があたたかくつながる社会を目指す一員に なっていただきたいのです。
自分は自分でいいんだ
ありのままで素晴らしいのだ と いつも思えるように。
子どものことも自分のことも 褒めて認めて
一人ひとりが 幸せを感じながら生きていってもらいたいと思っています。
皆と同じようにできないといけないの?
「別にいいじゃん!
多様性の時代なんだし。
皆と同じようにできなくても活躍している人っていっぱいいるよ。」
たしかにそうですね。
でも、本人がそう言っているのならともかく、
本当は一緒にその体験をしたいのに、それを学びたいのに、
別のものに興味関心が移りやすかったり、動きを止められなかったり、
長くて難しい口頭での説明だけだと わかりづらくて
ずっと聞き続けることが難しい子もいるのです。
今の日本の教育システムの中で、
たいていの学校で、
未就学児においても 先生が一斉に指示を出す場面が多い園や
就学前の学年に近づくに連れ、
皆と同じようにやることを求められることも増えます。
時間通りにスムーズに動かない 皆と同じようにできない子は、
先生の目にも、
指示通り もしくはルーティン通りこなすことができている子どもたちにとっても
「なんで あの子は 皆と同じようにできないんだ、なぜやらないんだ」と 思われ
注意されることも多くなり、目立ちます。

なので、お家ではそれほど困っていなくても、
園の先生から、「ちょっと気になる子」と思われて、
「お家ではどうですか?」と保護者は聞かれたり、
場合によっては療育機関との連携を勧められたりする場合もあるでしょう。
そのような、皆と同じようにできない子は、
どうしてそのような姿になっているのでしょうか?
そもそも、どうして皆と同じようにしないといけないのでしょうか?
目的は、本人が皆と同じようにすることではなく、
同じような知識や体験の教授をされる場面を 受け取れる状況を作ること
なのではないでしょうか。
最初に、そこを考えていきましょう。
先生の都合?
「みんなと同じように動いてくれたほうが先生も指導が楽だからでしょ。」
学校に行ったときに困るかもしれない とよく言うけれど、その練習のためにみんなと同じことができていたほうがいいの?
「だいたい、家では困っていないのに、
先生が一斉に子どもたちを動かすスキルがないことを、
うちの子のせいにしないでほしいわ」
という声も聞こえてくる場合があります。
確かに、本当にそういう場合も、ないことはないです。
つまずきの理由が、発達障害の特性からではなく、
あくまでも月齢によって生じる身体使いや理解の差だったり、
経験不足から来ていることもよくある話です。
それを、発達障害という言葉が独り歩きしていて、
脳の機能障害による問題で、努力や根性でどうにかなることではないし、
やりたくないことをやるようにと 言って聞かせても仕方がないことだから
と、はじめから働きかけの工夫もせずに、対応が上手にできないことを
子どもの障害のせいにしている場合もまれにあるのです。
保育の勉強をちゃんと受けてきて、実習もして、
毎日子どもたちの対応をしてきている先生なら
どのような働きかけをすれば 子どもたちがわかりやすく動けるかもわかっています。
自主性を大事にしつつ、
「今はこれをする時間」という 相手に合わせたり応じたりする経験も大事にして、
わかりやすく行動できるような働きかけをしている先生がほとんどです。

ところが、これまでのやり方では動かない子どもたちがいます。
そして、そのような子どもたちが増えてきているのも事実です。
視覚優位な子には絵カードを見せたり、
やる気がでない子には次のことを伝えて動き出すモチベーションを上げる工夫をしたり、
直球でやるべきことだけを伝えるのではなく、
いかに興味を引きつけるか、集中させるか、持続させるか
そのための工夫が必要となり、
先生たちは配慮に悩みながら 日々頑張って指導をしているのです。
「皆と同じことができないと困る」というのは、
たしかに、一斉に時間通りに動いてくれたほうが、
先生の都合がいいということもありそうです。
先生の都合だけではない理由で、
子ども当人側の理由で、
なぜ皆と同じようにできたほうがいいのかを もう一度考えてみましょう。
皆と同じようにできると何がいいの?
一斉授業の歴史

日本では明治時代に、学校の義務教育が始まり、すべての子どもたちに教育の機会が与えられました。
それまでは、寺子屋など個別や小集団で学ぶスタイルでしたが、多くの子どもたちに対して同じように教育する上では、一斉にできるだけ多くの人数に教えることが都合がよかったのです。
それ以来、基本的な対比としては、1学級35人(小学校)40人(中学校)を一人の先生が見る、という形で授業が行われています。(*小学校は2年生から40人でしたが、コロナのこともあり、令和3年4月より、35人に引き下げられたようです)
そこで、動き回ったり離席したり好きな時に喋ったりなど、
授業を妨害するような生徒がいては、
その一人だけに先生が関わるわけには行かず、クラスが成り立ちません。
無視して授業を続けたとして、先生の話をきちんと聞いて、
まじめに学びたい生徒にとっては、迷惑な存在となります。
授業内容と先生の人柄が魅力的で、
生徒の心をバッチリと掴んではなさないような授業を
毎回やっている先生がいたら、
みんな授業に集中して楽しく学校に通うことになるのかもしれません。
そのような先生ばかりの日本になったら嬉しいことですね。
しかし、たとえ授業が面白かろうとつまらなかろうとも、
今は多様性にとんだ時代です。
集中しにくい子も、衝動性・多動性の高い子も、理解がゆっくりの子も、
愛着障害で注意されてもどんな方法でもいいから注目を集めたい子も
いろいろなタイプの生徒がいて、一筋縄では行かないのも事実です。
例えば、先生が子どもたちに対して相当に言動を厳しく接すれば、
その先生の授業の時だけは抑止力が働き、静かな授業は実現できるかもしれません。
しかし、厳しい先生ではない人が担任になったり、授業をすれば、
生徒たちはしばらくはおとなしくしているかもしれませんが、
次第にお試し行動が始まるでしょう。
上手に信頼関係を築いて、働きかけの工夫や配慮ができる
学級経営の達人みたいな先生ならともかく、
厳しく圧をかけられて抑止力が働いていた反動から、
たちまち学級崩壊状態になることはよくある話です。
そのような状況では、スムーズな本来の授業を教えるだけ ということができずに、
聞く姿勢を作ること、意欲を持てるような工夫や働きかけが必要であり、
ひとりひとりの特性に応じての配慮も必要であり、信頼関係づくりは必至です。
学習指導だけではなく、学級経営や生徒指導の仕掛けや工夫や配慮も必要となります。
したがって、学習教材の準備のみに時間をかければいいだけではなくなり、
業務量が増えて困るので、
「皆と同じようにしてほしい!」と先生たちが願うのも当然です。
興味関心を広げるため

一斉授業スタイル(知識教授型)で授業を受けることで何がいいかと言うと、
まんべんなく人類の知的財産である各教科の知識や情報を
効率的に学ぶことができます。
すると、最初は関心のなかった内容でも、なにか聞いているうちに興味を持ち、
いつの間にか道端の草花をアプリで調べて詳しくなっていたり、
歴史に興味を持ってお城巡りをするようになったり、
英語が話せることが嬉しくなって海外留学に行くことを決めたり、
そんなふうに、もともと自分から興味があって自分発信で学びたい気持ちとは別に、
学校の授業を通してまんべんなく提供されたことがきっかけで 新たに興味を持ち、
視野や行動力が広がり
そこからまた新たな出会いがあり、新たな自分にであえることもあるのです。
皆と同じようにできない(=座ってられない、授業聞いていられない、理解できない)と、
そんな興味関心を広げられるチャンスを 逃している場合もあるのです。
もしかしたら、新たな自分の強み発見!につながるかもしれないのに。
発想が突飛な子・クリエイティブな子の得意分野 AL

ここ数年で何かと生徒の主体性を重要視して取り入れられてきているAL アクティブラーニング(主体的・対話的で深い学び)の授業も
実は昔からあるし、やってきている先生たちもたくさんいるのですが、だいぶ意識的に取り入れられてきており、
すべてをこのスタイルで行うと、授業時間が足りなくなってしまうため、
バランス良く取り入れて行う学校がほとんどです。
ちなみに、知識教授(提供・伝達)型の一斉授業が、
必ずしも受動的・一方的で浅い学びなわけではないのですが、
それぞれの良さがあり、また万人受けするパーフェクトな教授法はないと思いますので、
生徒が興味を持ちやすく、楽しく学ぶことができるようにと、
その時々の生徒に合わせて授業の工夫や配慮をできる先生が
プロなのではないかなあと思う次第です。
授業によっても、授業形態の相性もあることと思いますし、
その意味では授業形態もさることながら、
学級経営をいかに行うか というところが、とても大切なことなのかなあと思います。
皆と同じようにできない子の中には、
知識教授型の一斉授業を聞き続けるのは苦手だけれど、
グループワークや自分の発想を大事に取り上げてくれたり、
創り上げたりすることを得意とすることで 輝ける場合もあります。
しかし、自分の意見を言うのが苦手だったり、
人前での発表なんて本当に苦手と言う子もいます。
皆と同じように目立たないようにすることが得意な子ほど、
独自の意見を求められたりするALに対する苦手さは 高くなることもあるようです。
一斉授業に合わせて、
皆と同じことができるように掲示物を少なくして環境を整えたり、
座る位置を気が散らない場所にするなど 配慮することも大事だけれど、
AL型授業が増えると、
皆と同じようにできずに苦しんでいる子の中から、
得意・強みを活かして 輝ける場面が出てきて、
自分に自信を持てる子も増えるかもしれません。
皆と同じようにできない子ってどんな子?対応方法は?
なぜ皆と同じようにできない子がいるのでしょう?
その理由は一人ひとり違い、それぞれの背景があり、対応方法も違ってくるのです。
皆と同じことができない子=発達障害というわけではありません。
発達障害とは、ADHD,ASD,LD等の障害特性をもつ子どもたちのことを指します。
発達障害の子どもたちに皆と同じことができない子が多いことは確かでしょう。
しかし、愛着障害や経験不足などが原因の場合もあるでしょう。
そもそも、発達障害だったとして、皆と同じことができないということだけで
その子の人としての尊厳は何も変わることはありません。
発達障害と言う言葉が何か あまり良くないイメージになっているのだとしたら、
言い方を変えてもどうせその言葉じたいがまた イメージが悪くなるかもしれないので
この際、発達障害の人(もそうでない人も)は素晴らしい能力を持っていて
その人それぞれの役割(使命・天命)を持って生まれてきているのだから、
その人の強みや魅力をどう活かすか という視点が大事なことなのだ
という考え方に変えていきましょう!!
その子の持っている能力を発揮しやすくするかどうか、
どうすれば輝かせることができるのか
そこを大事に考えていけばいいわけです。
例えば、次のような子たちがいることでしょう。
あなたのクラスに次のようなタイプの子はいますか?
どこに当てはまるかもわからずに、皆と同じようにできない子たちをひとくくりにして、
皆に同じように対応していたら、あまり効果的ではない場合もあったかもしれませんね。
姿をよく観察し、背景を知り、場面による違いもあるので他の先生からの情報も参考にし、
アセスメント(査定・分析)して姿を捉えたら、なにが課題なのか、どこに問題があるのか
つまずきどころはどこからきているのかを仮定し、
本人にとってどのような働きかけが今できるベストなのかを考えます。
環境をどう整えたらいいか、どう働きかけたらよいか、
本人への根本的な改善に向けたアプローチなど、検討して実践していきましょう。
・皆と同じようにしようとしてもできない
・同じようにする気がない
・同じようにすることもわかっていない
1.皆と同じようにしよう としても できない子

このタイプで怒られていたら気の毒です。
皆と同じようにしようとしても、例えば聞き逃していたり、
手先が不器用で 上履きを履くなど次への行動に移る際に遅れをとってしまったり、
要領が悪くて 友だちに話しかけられて親切に応えていたら、話し始めた先生の指示を聞いていなくて 話しかけた方は怒られずに、話しかけられたこの子だけが変に目立って怒られることになったり・・・
やろうとする意欲はある素直な子なのに、
理解や行動がゆっくりで、
身体使いも手先の使い方も 全体的にゆっくりおっとり 要領も悪い感じで、
「皆と同じようにできてない!」と先生から怒られてしまう子、
もしくは、目の前のことに気持ちが向いてしまい、本来やるべきことをやらずに
気がついた時には おいていかれている子、
いますよね。
対応方法
このような子には次のような対応が必要です。
*気持ちはあるのにできないので、自己肯定感を下げないように。できなかったことを責めるようなことを言うのは厳禁です。
【一斉に話しかける前に、「今から大事なお話をします。」と注目をさせます。】
・このタイプは聞き逃しが多いので、一斉に話をする前に、個別に肩をとんとんと叩いてから皆に向かって話し始めるのもいいでしょう。
【理解がゆっくりの場合は、ナンバリングが有効】
・例)「今から3つ言うよ。1番、〇〇してください。2番、□□してください。3番、△△してください。」など。もう一度繰り返し言ってあげてもいいでしょう。
【指示は端的に、肯定的に伝えましょう】
・例)「〇〇しましょう」
・悪い例)「この前こういう人がいました。『〇〇やっても意味なくね、やりたい人だけがやればいいよね、あんなのつまんないし』みんな〜これっていいことだと思いますか〜?こういうことを言わずに、あ、ほら〜今この話聞いているみんなの姿勢悪いよ〜、いい?やる気を持たないでやるのはよくないよね、そういう態度はやめましょう。」(←わかりにくいですね(^_^;)何すりゃいいの?)
【視覚的に残るようにする】
・例)黒板にやることを書く。
・言っても頭に記憶として残らない子もいます。悪気は全くありません。短期記憶の記憶容量の個人差の問題です。「さっきいったでしょ」とか「一回しか言わないからよく聞きなさい」というのは、このタイプの子どもたちにとっては、どれだけ注意して聞いていても記憶から消えてしまい、本当に気の毒なことなのです。
・例)スケジュールがわかるように、写真で示す
・やるきはあるけれど、目の前のことに刺激が振られて、今やるべきことを忘れがちの子や、見通しが持ちにくい子にとって、とても有効な手段です。
【余計なものを視界から消す】
・目の前のものに気が向きやすい子にとって、環境を整えることはとても大切です。要するに気が散りやすいタイプなので、目の前に刺激的なものをちらつかせながら「それを見るな!」というのは、こういうタイプの子にとっては非常に酷なことなのです。
・気持ちを汲まずに次々に使っている目の前のものを片付ける、ということは逆効果です。かんしゃくをおこしたり、気持ちの切り替えに時間をかけることになってしまいます。使っていない物から片付けていき、最後は気持ちを十分に汲む代弁をしつつ、次の活動を伝えたり、好きなことを通して交換条件を交渉したり、できたことを褒めることも大切です。
【事前に伝える】
・目の前のことに気持ちが向きやすい子の場合には、前もって気持ちを切り替えやすくするように、事前に時計やタイマーを使い、「長い針が30のところに来たらお片付けです」と伝え、お片付けの音楽を鳴らして知らせる。その音楽の2分前くらいにも個別に声をかけておくなど、気がつけるように、気持ちが切り替わる準備段階を踏めるよう、次の活動に気持ちが向きやすくなるようにします。そして、次に行う活動がイメージしやすい物(現物もしくは絵カードや写真カード)を見せて、気持ちの切り替えを図ることが有効です。
・ちなみに、あまり早くに見せると、衝動的なタイプの場合は、もう気持ちがすぐに切り替わって、早くその活動をやらせろとばかり、何をおいても取り掛かるようにと皆と同じタイミングではないタイミングでスイッチが入る場合もあるので、その子のタイプにより、見せるタイミングは大事になってきます。
2.同じようにする気がない子

マイペースな子ですね。
マイワールドを生きている子です。
マイペースな子には、理解がゆっくりで皆と同じことができない子、
理解が高いけれど、目の前のことに集中が奪われ、気持ちと行動のコントロールができずに皆と同じことができない子、
理解に関わらず、こだわりから気持ちの切り替えができない子、
などがいます。
理解がゆっくりなお子さんに対しての対応は、下記に記しました。
理解が高いお子さんの中には、
『なぜ自分が好きなことを今楽しんでいるのに、先生の指示に従って、やりたくもない楽しくもないことを、皆とおなじようにやらなきゃいけないの?』
と思っている場合もあるでしょう。
そこまでの思いはなくとも、こだわりの強さからだったり、衝動性の高さから、
目の前の興味あることに対して、
回りだした歯車を止めることが難しいタイプの子もいるのです。
頭の中の司令塔がそのような状況下で、ぱっと気持ちを切り替えて
次のこと(皆と同じこと)を他の人にやるように求められても、
その子にとっては気持ちがそこには向かない状態なので、
返事をせずに無視する形になったり、
空返事をして「『うん』って言ったのになぜやっていないの」と後で怒られたり、
やっていない結果だけを見て「わがままだ」「自分の好きなことだけやって」「またか」「いい加減にしなさい」「他の子がやりたいこと我慢しているのに、思いやりがない」など
どんどん行動否定から人格否定されて、落ち着いたときにはもう非難轟々の嵐で
自己肯定感が下がり、自分はだめな人間だ となってしまいます。
人格否定されずに、そこがいいところ面白いところ、あなたのいいところ
などと認められた子は、後々大物になったりしますよね。
自称ADHDの 武田双雲さんのように。
ADHDの衝動性の高さや突飛な発想力・行動力は凡人にはない素晴らしい能力でもあります。
話はちょっとそれますが、双雲さんのエピソードを紹介しますね。
双雲さん エピソード
・小学校の頃は教室のカーテンが揺れているのを見て、先生の話を聞いていなかった
・中学校の野球部では、ピッチャーでボールを投げようとしたら目に入ってきた空が綺麗だなあと思っているうちに「ボーク」を取られた
・NTTに就職して電話を取るときに墨をすり、筆で相手の名前を記入し、そのメモを上司に渡していた。(後に、職場内でこの行動が噂になり、ある職員に名前を書いてあげたのが感動され、自分の書いた文字で人を感動させられるなら、と嬉しくなり、辞表を出した。)
*なんだか、双雲さんのエピソードを書いて、今の双雲さんの活躍を知っていると、皆と同じ事ができないことで自己評価を下げる必要はないし、人に迷惑をかけないように、自分の学びのためにも人の話を聞くことができるように自分なりの対応策を持ち、努力をすることは大切かもしれないけれど、何しろ自己肯定感を下げずにいれば、自分の強みを知って活躍できる大人にはなれそうかも!!と思えてきますね。

対応方法
・人に応じることで、やってみたら楽しいこともある、ということがわかってくれば、応じることも増えていきます。
・子どもと先生との信頼関係を作ることが何より大事になってきます。
・先生は子どもの特性を十分に理解し、リスペクトするくらいの気持ちで接する事が大事です。
・皆と同じにやることの価値を伝えることも、子どもの理解力や発達段階によっては有効です。
・どの子に対してもそうですが、自己肯定感を下げるようなことを言うのは厳禁です。
・衝動性が高い場合、言動のコントロールができていないので、そのための感覚統合からのアプローチが有効です。言語性が発達することにより、言葉で気持ちが言えるようになると、衝動的な行動が減る場合もあります。具体的な方法については一概に言えずケースバイケースのため、ここでは、大枠しかお伝えできません。多動性衝動性が高くて本人も先生も周りの子どもたちも困っているような場合は、お薬を使ったほうがいいかを含めて、ドクター診察を受けることをおすすめします。また、心理士の検査などを受けて、具体的な配慮方法をアドバイスしてもらったり、PT(理学療法士)OT(作業療法士)などに、身体からの具体的なアプローチを試みてもらったり、家や園(学校)でできることを毎日実践していくことで、改善していくケースもあります。
3.同じようにすることもわかっていない子
理解がゆっくりな子は、今まわりの子たちが何をしているのか という違いにも気がつけない場合があります。
気がついたとしても、「それを今自分もやるのだ」ということを理解し、行動する というところに結びつかないことも多いです。
したがって、次のようなことを、根気よく教えていき、できたら褒めていきましょう。なぜやるのかも、本人の理解に応じてわかりやすく伝えると、定着しやすくなります。
対応方法
①今は何をする時間かを知る ②その時間には一緒に行うことが学校(園)でのルール ③できたらどんないいことがあるのか価値を伝える 褒める
とりあえず、言われるがままに行うところから始めることになるかと思います。
事前に次に何をするのかを伝え、皆と同じようにできる状況を行いやすくします。
その後は、周りを見て、状況判断で動けるように、促していきます。
それができるようになったら、自分で見通しを持って動けるように、その子にあった方法で、スケジュールを伝えていきます。
皆と同じようにできていればいいってもんじゃない
支援者が一番心配しているタイプの子は・・・
皆と同じようにできないと心配になる保護者はたくさんいらっしゃいます。
でも、皆と同じように座っていても、実は話を聞いていなかったり、
先生の話の内容を理解をしていなかったり、
何をしていいかわからずに周りを見て同じようにやっているだけだったり
困っていてもそれを訴えられなかったり
そんなふうに小学校の低学年くらいまではなんとなく過ごせてしまって、
見過ごされ 埋もれてしまいがちの子が、実は一番心配なのです。
高学年になって、授業の内容が難しくなってきたり、指示が複雑になってきたり、
大事なプリントの整理ができなかったり、それを気軽に先生や友だちに聞けずに
何を聞いたらいいのかもわからない場合もあり、
いざというときになって とても困ってしまう自体になることも出てきます。
そこで変に目立って、自信をなくしたり、
不安な気持ちが 身体に出るとチック症状や「お腹が痛い」などの症状に現れ、
現れるならまだいいのですが、どうしたら良いのか方法がわからず心を病んで、
不登校などにつながる場合もあるのです。
自分から「助けて」が言える子に 育てていきましょう。
「助けて」と言うスキルを身に着けさせることは、実は意外と難しく、大事な支援です。
一人でどうにかできる力をつける ということももちろん大事なのですが、
これからの時代は、自分の強みを活かして、助け合って
お互いの良さを認めあって 承認しあって行く時代です。
だから、困ったときに、ちゃんとヘルプが出せるように
そのスキルを伝えてきましょう。
そのためにはまず、お家で、安心して人に助けを求めてもいいことから始めていきます。
「助けて」を出せたときに 解決する形で成功体験を積み重ねていき
自信をつけていくことが大切なのです。
「一人で考えろ、どうにかしろ」そう言われて、できる子はいいのです。
でも、できなくて困って、そのまま放置して、結局困ったことに後からなるのです。
怒られて、怒られたくないから余計にまた隠して と悪循環になりがちです。
そんなことにならないように、
「困った時には『助けて』って言っていいんだよ。」と伝えていきましょう。
そのような子は、皆と同じにしようと頑張っている子どもに多いです。
ぜひあたたかい声掛けと、要求を出せる環境づくりと
要求を出せた時には 極力叶えてあげることをしてあげてくださいね。
